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合気道・独学のススメ(安藤師範のエッセイ)

「合気道・独学のススメ」
そもそも合気道は、独学・自得自修のものらしい。植芝開祖も武田惣角先生から事細かく全てを習った訳ではない。数か月の間、手ほどきを受けた程度である。塩田先生も植芝開祖に8年間ついていたとはいえ、教わったのではなく、自ら学んだらしい。
「飛燕 合気道」にこんな一説が出てくる。
植山師範は、入門を乞う剛二青年に
「合気術は、教えても教えられるものではない。錬磨をかさねて、自分で体得するものなんです。あんたさえ、その気になるなら、わしはいつでも相手をする。その間に、技を練り、業を学び、気を会得してもらうより仕方がない。わしの生んだ合気術というものは、そういうものなのです」
不得要領な植山師範の言葉に、剛二は首をかしげた。師は、相手はするが教えられないという。いったいそれは、どういう意味なのであろうか。
「先生!教えてはいただけないのでしょうか」
「だから、いまも話したとおり、相手をしてあげるから、自分で学びとりなさいというのです。わからんかな」
塩田先生も独自に研究を重ね、合気道の研鑽に心血を注いだということだ。現に我々塩田先生の内弟子たちも、塩田先生からあまり教わった記憶がない。常に道場で教わるのは、先輩内弟子からであった。
やはり人間、先輩たちもそれぞれ意見が違う。技に対する見解が違うのである。あまりに食い違っていることもあり、警視庁の専修生から「技を統一して教えてください」との言葉が寄せられたこともあった。
しかし、私はそのことに苦を抱くことはなかった。先輩の教えを自分で取捨選択し、自分で学び取り、自分で作り上げて行くものと思い込んでいたのだ。なぜなら、大学で始めた合気道は、養神館とは全く違う合気道であった。合気会の傘下で、幹部になると合気神社の斉藤先生の下で学んだ。合気会の本部でも合宿したり、同じ大学の気の研究会との合同稽古は、年2,3回はあった。
合気道とは多様性が当たり前と思っていたからである。自ら学び取って行くものだからこそ多様化するのである。
しかし、ここがまた合気道の弱点でもあるように思う。多様化することで本質が見えにくくなる。樹木が年数をかけ、生い茂り花を咲かせると、人の見る目が根や幹にいかなくなる。花に目を奪われてしまう。
話を戻そう。合気道は、独学の道である。師はヒントである。新型コロナの猛威で稽古が出来ない皆さん。独学のチャンスである。一人稽古や自分だけで合気道を見つめる良き機会である。
とは言え、ある程度の初級段階はクリアしていないと難しいのも事実である。
何とかコロナをプラスに変えることも合気道の精神であることに間違いはない。

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